東京高等裁判所 昭和43年(う)336号 判決 1968年4月30日
被告人 加藤賢二
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役二月に処する。
理由
本件控訴の趣意は、検察官藤岩睦郎の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人宮本正美の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。
検察官の所論は、原判決の法令適用の誤りを主張するものであつて、当審における事実取調の結果に徴すれば、被告人は、昭和三九年九月一六日掛川簡易裁判所で窃盗罪により懲役一年、保護観察付執行猶予四年間に処せられ、同年一〇月一日該裁判の確定をみたことおよびその後保護観察を仮解除されないことによつて、目下なお保護観察期間内の身である事実が認められる。従つて、被告人に対しては、その本件犯行が右期間内の行為であるために、刑法二五条二項但書によつて再度の保護観察付執行猶予を言渡すことはできないのである。
しかるに原審は、その取調べた同四二年一二月二五日付前科調書に右事実の記載を欠くため、誤つて本件につき刑法二五条二項、二五条の二第一項を適用して再度の保護観察付執行猶予を言渡したのであるから、その法令違反は、もとより判決に影響をおよぼすことが明らかであつて、論旨はすなわち理由がある。
弁護人は、検察官の本件控訴は不適法である、と主張し、その理由として、(一)原判決は、被告人の前科が保護観察付執行猶予である事実を認定しながら再度執行を猶予したのではなく、その前科は保護観察付でない普通の執行猶予であるとして再度執行を猶予しているものであるから、認定した前科事実につき誤つて法令を適用した違法は存在せず、もし、検察官の主張が正しいとすれば、原判決の認定していない別異の事実に対し、原判決と異なる法令の適用を求めることをもつて法令違反と解する結果となり、控訴申立理由としては法令違反と事実誤認とを峻別している法の精神に反するものであり、また、(二)検察官の主張するように、当審において新たに前科調書等の取調を請求できるのは刑訴法三八二条の二によるほかないが、それは、同条一項に明記するとおり「やむを得ない事由」、すなわち第一審の弁論終結前に取調を請求することができなかつた場合にかぎられるべきであるのに、原審において検察官が真実に符合する前科調書等を提出することは極めて容易であつたのであるから、これを提出しなかつたことが「やむを得ない事由」によるとはとうてい考えられず、もとより当審における検察官の右前科調書等の取調請求も許されない、という。
しかしながら、検察官の本件控訴が、被告人には訴訟記録および原裁判所で取調べた証拠に現われていない執行猶予の障害となるべき前科の存在する事実を援用して、これが存在することを知らないために執行猶予の言渡をした原判決に法令適用の誤りがあるということを理由に申立てられたものであることは、本件控訴趣意書の記載自体に徴し明らかなところであるから、これが単なる法令適用の誤りを主張するものであるということを前提とする弁護人の右(一)の主張は採用に値しない。
次に、検察官主張のごとく当審において新たに前科調書を請求できるのは、刑訴法三八二条の二による以外に途がないことは弁護人も認めて争わないところであつて、なるほどそれが同条一項にいう「やむを得ない事由」、すなわち第一審の弁論終結前に取調を請求することができなかつた場合にかぎり許されるべきことは、正に弁護人主張のとおりであるけれども、当審にいたつて、検察官が、「原裁判所に対応する静岡地方検察庁浜松支部の検察官は、原判決後その言渡を受けた被告人が、即日管轄保護観察所に出頭したことによつて、直ちにそのことを通報して来た同観察所の保護観察官から、被告人が目下なお保護観察付執行猶予期間中の身であることを聞知し、ここにはじめて該事実が判明したものである。」旨釈明するところと、原審において取調べた証拠および当審における事実取調の結果とを総合して考察すれば、被告人は、本件違反を検挙した司法巡査に対して、加藤竹夫という偽名を名乗つたり、捜査の結果それが偽名と判明した後も、同四二年一二月二五日司法警察員の取調に対し、本件当時は金銭に窮しており、以前にも本件と同様の違反を犯して罰金三万円を納付したばかりであつたため、氏名を詐つたものである旨供述し、次いで翌二六日検察官の取調を受けた際には、住居地を管轄する浜松簡易裁判所で道路交通法違反罪により処せられた罰金の前科三犯があるだけである旨供述して、結局、本件の捜査段階においては、問題の前示保護観察付執行猶予中であることおよび他にも同三六年一〇月三〇日浜松簡易裁判所で窃盗罪により懲役一年四月、執行猶予三年間に処せられた事実や、同裁判所と東京簡易裁判所で道路交通法違反罪により三回罰金に処せられた事実があることを終始秘匿し通していたことが肯認せられる一方、本件が自動二輪車の無免許運転という比較的軽微な事案であるため、被告人の右供述をそのまま措信した前記浜松支部の担当検察官において、よもや被告人に浜松簡易裁判所以外の他の裁判所(掛川簡易裁判所)で言渡された法律上刑の執行猶予言渡の障害となるべき前科があろうとは露知らず、従つて本庁たる静岡地方検察庁に照会を発するなどの万全の前科調査を講じないで本件公訴を提起し、かつ、原審における審理の際、ただ、自庁で作成することのできた被告人の自認する罰金の前科三犯のみが記載されているに過ぎない不完全な同四二年一二月二五日付前科調書を証拠として提出しただけで空しく推移し、遂に原判決の言渡をみるにいたつたものと察知される次第である。捜査官は被告人の前科の有無のごとき重要な事項は極力調査すべきであるから、右は確かに検察官の不手際ないしは怠慢ともみられないわけではないが、近時この種交通事犯の激増に伴い、カードを用いて簡便にこれを処理せざるを得ないような実情に立ちいたつていることなどに鑑みれば、殊に以上のような本件事情のもとにおいては、検察官が、原審弁論終結前に法律上刑の執行猶予言渡の障害となるべき被告人の前科に関する証拠の取調を請求することができなかつたことは、前記「やむを得ない事由」によるものと考えるのが相当であるというべきである。されば、弁護人の右(二)の主張も採用することができない。
よつて刑訴法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い自判することとし、原判決の認定した事実にその掲げる相当法条を適用して被告人を懲役二月に処し、当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項但書を適用してこれを被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。
(裁判官 三宅富士郎 内田武文 横地正義)